今だからちゃんと考えてみたい。

「人の心を動かす」

この言葉を聞いて皆さまは何を思い浮かべるでしょうか。

映画や音楽、スポーツなど、人によって思い浮かべるものはきっと異なり、その対象は一つではないはずです。

僕も小学生の頃から野球をやっていたので、野球を観て心を動かされた経験は何度もあるし、生き方が不器用な僕はいわゆる“思春期”に音楽に助けられた経験もある。

そんな僕が「人の心を動かす」で真っ先に思い浮かべるのは“アイドル”だ。

 

偶像

しばしば「アイドル=偶像」なんて言葉を聞く。

この言葉を僕はすんなり受け入れることは出来る。

しかし、地下アイドル現場に通うようになってから、この言葉と遠ざかるような感覚になってきた。

「アイドルも普通の人間」やら「恋愛禁止は人権が~」なんて言葉もたまに見聞きする。

果たして「普通の人間」に対して、時間を、お金を使うことはあるのだろうか。

リソースを割いて“応援”することなんてあるのだろうか。

もちろん、アイドルだって人間だ。

僕らには一生わからない苦労や悩みだってあるだろう。

もし、そういうことで落ち込んでいる時には力になりたいとは思う。

でも、でも、それでもやっぱりアイドルには“ステージ”に立つ人としての拘りやプライドを持ってほしい。

「誰もが目指して良い場所」ではあるが「誰でも立って良い場所」ではない。

僕はそう思う。

地下現場に通うようになり、良くも悪くも「距離の近さ」を感じてしまうようになった。

地下に“流れて”しまえば、この近さを楽しめるとは思うが、そうではない僕には“楽しむために”色々考えて立ち回る必要があると思うようになった。

 

何を選び、何を捨てるのか

毎週土日だけでなく、平日もライブがある。

毎週アイドルに、推しに会えるのは地上では経験したことがないことだ。

行こうと思えばすべて行ける。

そんな環境の中で「行ける現場はすべて行く」って選択に疑問を持つようになった。

それはただの“開き直り”に近いのではないか…と。

それなら「行ける現場から行く現場と行かない現場」の判断をしても良いのではないか…と。

去年の後半はそれを実践してみた。

個人的な感覚としては「行けるのに行かない」って選択に気持ち悪さも罪悪感もなかった。

ただ、これが“アイドル”さん側からどう見えて、どう思われるかは知らない。

 

何のためにオタクをやっているのか

果たして僕は何のためにオタクをやっているのだろうか。

それは勿論そこに“推し”がいるから…ってことが1つの答えではある。

好きだから会いに行く。楽しいからライブに行く。

これは誰のためなのか。

推しのためか?それとも自分のためか?

正直、わからない。

ただ、僕は「自分が楽しむだけ」のためにオタクはできない。

でも「推しのため」って気持ちを最優先にしてオタクもできない。

そういうことが原因なのかわからないが、昨年数回“楽しもうって気持ちがなく”ライブに行ったことがある。

その結果は…勿論楽しむことは出来なかった。

全員がそうとは限らないが、僕はそういう気持ちでライブを観ても楽しむことは出来ないオタクのようだ。

 

今年も地下の現場に通うことになると思うが、地下現場特有の面倒くさい部分と上手く戦いつつ、時には目を逸らし、自分が楽を出来るような立ち回りをしていきたい。

ただ、これは“現場”があればの話だ。